ぴいすな物語①
〜知的障がいがある香奈さんが、はじめて「ありがとう」が言えた日
社会福祉な「まいにち」
執筆者 わたる@すてっぷ 2022.06.16
特別支援学校を卒業して、障がい者の就労支援を行っている事業所「ぴいす」の利用者として県立女子大学のなかで働きはじめた知的障がいがある香奈さんのお話しです。
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仕事は学食でのランチの盛りつけと食器の洗い物です。
家から女子大までは少し遠いですが、毎日自転車で通っています。
難しいことを考えるのは苦手です。難しい漢字も読めません。計算も苦手です。
器用ではないので、何かをするのもゆっくりです。
学生時代は、先生の言う事をよく聞いて、黙々と作業をする、ひと言でいえば
大人しくて真面目な生徒でした。
学食での朝の仕事は、サラダの盛りつけからはじまります。
わかりやすいように作られたマニュアルを見ながら、サラダを盛りつけていきます。
いろいろな具を盛りつけるのと、たくさん数をつくるので大変です。
それにランチタイムに間に合うようにつくらなければならないので、気持ちもあせります。
サラダの盛りつけが終わると、料理で使った鍋やフライパンを洗います。
家で使っている物より大きくて、洗うには力が要ります。
それが終わると、お昼休みです。
購買や学食で、自分の好きな物を買って食べるお昼は、毎日の楽しみです。
午後は、学生さん達の食べ終えた食器を洗います。
下膳用のシンクは毎日たくさんの食器であふれています。
先輩の利用者さんは、落ち着いて手際よく食器を洗っています。
それをみると、自分もいつかあんな風に上手に出来るようになるのかな?と思います。
仕事をはじめたばかりの頃、手が滑って食器を落として割ってしまったことがあって、涙が出そうになりました。怒られると思っていたら、「怪我はなかった?大丈夫?」とスタッフが心配してくれたのでホッとしました。
仕事が始まって3ヶ月。
仕事にも慣れて、女子大への自転車通勤にも慣れました。
「お前、なんか変だな。障がい者か?」
ある日、仕事に行く途中、知らない人から「お前、なんか変だな。障がい者か?」とからかわれました。高校生くらいの男の子でした。とても悲しくなって、大学に着いた時には涙が出てきてしまいました。それを見たスタッフが「どうしたの?」と聞いてくれて、何があったかを話すと、いろいろとアドバイスをくれて気持ちがすーっと楽になりました。
その日は凄く忙しい日でした。山のような食器の洗い物をしていると、
食器を片づけに来た学生さんが、「ごちそうさま!ランチ、美味しかったです。」と言ってきました。
突然のことだったので、びっくりして、その時はなにも言えませんでした。
家に帰ってから、いろいろ考えました。
あの学生さんはなんで自分にあんなことを言ったのだろう?
自分がランチの盛りつけをしているのを知っているのかな?
私が作ったサラダを食べてくれたのかな?
明日も食べてくれるといいな。
そんなことを考えながら、その夜は眠りにつきました。
次の日、仕事に行くのがいつもより楽しみでした。
サラダの盛りづけをする時、昨日の学生さんを思い出していました。
あの人がまた食べてくれるのかもしれないと思うと、いつもやってるサラダの盛りつけがなんだか楽しくなってきました。
その日の食器洗いの時はドキドキしていました。またあの学生さんが来て、話しかけてくれるかもしれないと思うと、何となく落ちつかない気持ちでした。
けれど、その日、あの学生さんは来ませんでした。ちょっとがっかりしました。
次の日もあの学生さんは来ませんでした。もう会えないかもしれないと、寂しくなりました。
「ありがとうございます。ありがとうございます。」と何度も練習
それから何日かして、いつものように食器を洗っていると「ごちそうさま!ランチ、美味しかったです。」と声がしました。
顔を上げるとあの学生さんでした。うれしくなりましたが、やっぱり声を出すことはできませんでした。
いつも、「ありがとうございます」と大きな声で言おうと思っていましたが、なかなか言う事ができなくて悲しくなりました。
そんな私をみて、スタッフが「何かあったの?」と声をかけてくれました。
これまでのことを話すと
「大丈夫!毎朝、朝礼の時にみんなで『ほほえみの接客用語』を練習しているでしょ?あの練習のつもりで言えばきっと上手に言えるよ。」とアドバイスをもらい、「そうか!」と思いました。
今度あの学生さんが来た時には、必ず「ありがとうございます!」と言おうと心に決めました。
今日はいつもならあの学生さんの来る日です。食器洗いをしながら、小さな声で「ありがとうございます。ありがとうございます。」と何度も練習しました。
そろそろかな?と思って食堂を見ると、あの学生さんがこっちに歩いて来ます。いつものように
「ごちそうさま!ランチ、美味しかったです。」と学生さんが言った後、
「ありがとうございます!」と自分でもびっくりするくらいの大きな声が出ました。
学生さんは
「美味しいランチがいつも楽しみです。お仕事頑張ってね!」
と笑顔で言ってくれました。嬉しくて嬉しくて、この仕事をやってきてよかったな、もっともっと頑張ろうという気持ちになりました。
スタッフにそのことを報告すると、とても喜んでくれました。
「他の学生さんにも同じように『ありがとうございます』と言えると、みんな香奈さんと同じように嬉しい気持ちになると思うよ」と言われ、そうかやってみようと思いました。
次の日は下膳に来る学生さんみんなに「ありがとうございます!」と言ってみました。
びっくりする人もいれば、笑顔で「ごちそうさま!」と言ってくれる人もいました。お客様なのに反対に「ありがとうございます」と言ってくれる学生さんもいました。
「ランチの盛りつけをする事も、食器の洗い物をすることも、誰かの役に立っているんだよ。香奈さんが作ったランチを、学生さんが買ってお金を払ってくれて、それが香奈さんの工賃になるんだ。ランチの代金には盛りつける仕事の分も、洗い物をする仕事の分のお金も含まれているんだよ。」とスタッフが教えてくれました。
「香奈さんは一生懸命仕事をしているから、盛りつけも上手になって、時間も早くなったね。」と褒められました。自分では気づかなかったけれど、そうなのかな?そうだとしたら嬉しいな。
自分がしていることを誰かに喜んでもらえるって、なんて気持ちがいいんだろう。
誰かの役にたつって、嬉しくて、楽しくて、やる気が出てくる。スタッフは「それが『やりがい』なんだよ」って言っていたけど、本当にそう思う。「ぴいす」のスタッフと一緒に大学で働くことができて、本当によかったな。明日も頑張ろう!
自転車での帰り道、ペタルを元気よく踏みながらそう思いました。
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◆筆者より
「社会就労センターぴいす」は知的障がいのある人達が、一般の会社で働くのは難しいけれど、必要な援助を受けながら、自分のできる仕事をして、なるべくたくさんの工賃を得るための事業所(就労継続支援B型という福祉サービスを行う事業所)です。ぴいすは県立女子大学のなかに事業所があって、学生食堂、購買、カフェ、清掃の運営を委託されていてます。ぴいすに通ってくる障害のある方がたをサポートして大学から委託された仕事をしています。この物語は、ぴいすに通っているたくさんの利用者さんが実際に経験したことと、いつかこうなったらいいなという思いを合わせてつくった実話に基づいた物語です。次回の連載もお楽しみに。
わたる@すてっぷ
群馬県社会福祉法人すてっぷ 社会就労センターぴいす施設長
14年勤務したIT会社を退職し、栃木の山奥でボランティア活動を2年した後、「良い人が働いていそう!」という理由で福祉(障害)に転職。現場で介護や支援技術を学び、50歳を前に社会福祉士に合格(同僚からは「奇跡が起きた!」と言われる)。「ふつうに働く、ふつに暮らす、ふつうに楽しむ!」を支援するためすてっぷ(s-step.com)で奮闘する毎日。カンフー(通背拳、秘宗拳)とガジェット(Apple信者)と車(JB64)と焚き火とうさまるとねこぺんを愛するオッサン。福祉の現場で起こる感動を伝えたくて参加!
社会福祉法人すてっぷ https://s-step.com
14年勤務したIT会社を退職し、栃木の山奥でボランティア活動を2年した後、「良い人が働いていそう!」という理由で福祉(障害)に転職。現場で介護や支援技術を学び、50歳を前に社会福祉士に合格(同僚からは「奇跡が起きた!」と言われる)。「ふつうに働く、ふつに暮らす、ふつうに楽しむ!」を支援するためすてっぷ(s-step.com)で奮闘する毎日。カンフー(通背拳、秘宗拳)とガジェット(Apple信者)と車(JB64)と焚き火とうさまるとねこぺんを愛するオッサン。福祉の現場で起こる感動を伝えたくて参加!
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