うちの社会福祉ヒーローズ なぜ元文部科学省の職員が 五島列島にUターンして福祉の世界に!? 山口和洋さんインタビュー
先輩・同僚インタビュー
聞き手 カドジュン 2022.05.23
社会福祉ライターのカドジュンです。
長崎県五島列島で老人ホームや保育園の経営をしています。離島からオモシロイ情報を発信していきます。
法人施設屋上の3Dアートを紹介したのに続き2回目のアップです。今回は、文部科学省でバリバリ働いていたのに退職して五島に帰り、社会福祉法人の理事長などとして活躍する山口 和洋さんにインタビューしました。
山口 和洋(やまぐちかずひろ)さん
1976年生まれ。五島で生まれ育ち高校卒業後に島を出ます。20年以上、大学や文部科学省で働き、42歳で退職し五島へUターン。両親が経営している社会福祉法人で本部長、また、サービス付き高齢者住宅で施設長を4年以上務め、昨年、法人理事長に就任しました。家族は京都出身の奥様と高校生の男の子、中学生の双子の女の子です。
山口さんと祖母のイソさん。自法人で看取れただけでも五島に帰ってきてよかった、とのこと
カドジュン:五島に戻る前のお仕事について教えてください。
山口さん:2か所の国立大学(当時)で働き、24歳で東京の文部省(当時)で勤めはじめました。その時のことをひと言で表せば「過酷」です(笑)。とにかくきつかったです。電車で帰れればよい方で、いつも深夜に帰宅していました。休みはしっかり取れても、平日は過酷としか言いようがなかったです。国会担当だった時には、月曜からはじまって5,4,3,2,1と週末に向けて睡眠時間が1時間ずつ短くなったこともありました。そして、退職前には私立大学の経営指導などをしていましたが、質問があれば回答できるよう、担当分野についての知識が日本でいちばん必要な職場でした。いまとなっては過酷なこともよい経験になったなあと思いますが(笑)。
カドジュン:すごいですね。相当やりがいのあるお仕事をされていたのに、五島に帰ろうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか。
山口さん:まず五島という帰ることができる場所があったことが大きかったです。辞める前は国の大きな仕事をしているという手ごたえは確かにありました。しかし、自分の能力や今後のキャリアパスを考えたときに、あまりよいビジョンを描けませんでした。定年までやり切れたとしても何が残るのだろうかと。それよりも、これまでの自分の経験や能力をほかに活かせるのではないかと考えました。そこで五島で両親が経営する社会福祉法人で働くことに決めました。高校卒業後に島を出ていますが、年齢を重ねるごとに島への想いが強くなっていたということもあります。幸い年2回、五島には帰省していたので、家族の反対はとくにありませんでした。両親から帰って来いと言われたことはありませんでしたが、期待されていることは感じていました。
カドジュン:五島に帰ってきてから生活は変わりましたか? そして、五島の好きなところはどんなところでしょうか。
山口さん:生活は劇的に変わりました。いまは21時過ぎには布団に入り、家族の誰よりも早く寝て早く起きています。五島は「釣りの聖地」とい言われるほど魚影が濃く、いまはルアー釣り(イカ、ヒラマサ、マグロetc.)にハマっています。仕事の前後で海に出ることもあるので仕事との両立が大変です(笑)
平日にも釣りに行ける最高のワークライフバランスです
五島列島を代表するルックポイント大瀬崎灯台。とくに夕陽が美しいスポットです
五島列島は潜伏キリシタンの歴史があり、各地に教会があります
カドジュン:それでは仕事についておたずねします。山口さんは短期間で次つぎにオモシロイことを仕掛けていますね。社会福祉HERO’Sでも紹介されていた介護記録システムnoticeをはじめ、ノーリフティングといった新しい介護技術やITの導入などです。異業種から入っていきなり管理職をしているわけですが、前職と比較してどんな感想をもっていますか。
山口さん:公務員時代には公平中立な立場でなければいけませんし、新しいことをはじめるためにはものすごく手間がかかります。でも、いまの仕事は自分がやりたい、とんがったことができるのがいいなと思っています。また、自分は経営者という一番恵まれた立場にあるので、きついとかつらいとかの言葉を思わないようにしています。「悲観主義は感情で、楽観主義は意思だ」と教わったからです。
そして前理事長であった父がほとんど口を挟まず、経営も含めて任せてもらえたのはありがたかったですね。Webについては、もちろんコロナ禍において面会の代替手段として活用していますし、とくに離島ですので、今後はさらに重要になってきますね。
カドジュン:仕事において大事にしていることは何でしょうか?
山口さん:法人の理念です。「私たちは、利用者及びその家族が安心して生活できるように、常に利用者と家族に寄り添いながら、声なき声が聞こえるような技術と知識を身につけ、職員相互の融和を図ります。また、地域の皆さまと手を取り合い福祉の向上に努めます」というものです。
カドジュン:理念を大事にし、具体的な手法に落とし込んでいるわけですね。ほかには、現在空き家を譲り受けて活用されていますね。
休日でも経営の勉強を欠かしません
山口さん:3年前から街なかにあった元医師の自宅を譲り受け、いろんな活動をする方につながってもらいたいというコンセプトで進めています。コロナ禍でなかなか活用できていない状況ですが、学習ルームとして高校生に開放しています。2020年の大きな台風(9、10号)の時は職員家族の避難所としても機能しました。
改修した空き家を学習支援など地域のコミュニティづくりのために開放
カドジュン:将来めざすものはありますか。たとえば10年後など、どうでしょう。
山口さん:五島は人がいいと話しましたが、公務員時代は性悪説の立場になりがちでした。人は悪いことをする。だから、そこを防ぐための仕組みや制度が必要なんだというスタンスでした。しかし、こちらに帰ってからは人を信頼して接したり、仕事に臨んだりするようにしています。そのように心がけることで、職員が働きがいや誇りをもってもらえる仕事や職場を作っていきたいと思っています。
インタビューを終えて
今回のインタビューで、目標とする人はとくにおらず、いろんな人の仕事ぶりを見たり、教示を受けたりしたというお話が印象的でした。おそらく前職の影響で、自分自身の実力をつけなければいけなかったことを表しているんだろうなぁと感じました。社会福祉事業出身の経営者にはあまり見られない資質だと感じます。また、同じ経営者として、山口さんのスピード感にはいつも驚くばかりです。今回、情報の公開前で紹介できなかった新しい事業もあります。うまく回りだせば離島の福祉が大きく変わると思いました。これからも活躍を期待しています。
またおもしろいヒトやコトを紹介しますね。どうぞお楽しみに!
カドジュン
長崎県社会福祉法人 明和会
長崎県五島列島で法人理事と特養の施設長を兼務している五島イチの遊び人です。小学校講師から介護業界に入って20年。公私で強力なパートナーである妻と小学校に通う娘の3人家族。旅行とアウトドア、とくにシーカヤックとキャンプが得意です。福祉にマーケティングやブランディングなどの経営戦略を取り入れ、地域でもオンリーワンな老人ホームをつくっています。日本の西のはしから福祉のイノベーションを起こし、地元の町を全国区にするため日夜フルスイングしています。離島ならではの記事を発信していければ良いなあと思います。よろしくお願いします。
長崎県五島列島で法人理事と特養の施設長を兼務している五島イチの遊び人です。小学校講師から介護業界に入って20年。公私で強力なパートナーである妻と小学校に通う娘の3人家族。旅行とアウトドア、とくにシーカヤックとキャンプが得意です。福祉にマーケティングやブランディングなどの経営戦略を取り入れ、地域でもオンリーワンな老人ホームをつくっています。日本の西のはしから福祉のイノベーションを起こし、地元の町を全国区にするため日夜フルスイングしています。離島ならではの記事を発信していければ良いなあと思います。よろしくお願いします。