僕の好きな福祉人!全国初のろう聴覚障がい者であり、市議会議員、やねたにさんをご紹介します。
社会福祉な「まいにち」
執筆者 ノリソン 2021.09.10
どうも、社会福祉ライターのノリソンです。私は発達に支援の必要な就学前の子どもたちが通う明石市立あおぞら園・きらきらで働いています。今回は、私の地元、明石で尊敬できる福祉の先輩をご紹介したいと思います。
明石市に全国初の聴覚障がい者で市議会議員になった女性がいることをご存じでしょうか?
やねたに敦子さんといいます。
やねたにさんは聴覚障がい者であり、明石市議会議員であり、YouTuber💻でもあります。
さすが「やさしいまち あかし」をスローガンに福祉に力を入れている明石市です。
障がい当事者の方がいきいきと市議会議員として活躍されています。
ですが、私は明石市に住み、障がい福祉の分野で勤めているにも関わらず、やねたに市議会議員の存在を2年前まで知りませんでした。まったく知らないままにやねたに市議会議員の1期目は終わっていました。いまでも「やねたにさん無関心でごめんなさい」の気持ちでいっぱいです。
やねたに市議会議員が平成31年、2期目の当選をめざしたとき、知り合いから聴覚に障がいがありながら市議会議員を務めたやねたにさんの存在をはじめて知ることができました。
そしてその知り合いから、やねたにさんのような障がい当事者の方がもっともっと明石で活躍してほしいという切実な願いを聞き、障がいがある方のやさしい暮らしを実現するために私も2期目の選挙はSNSを通じて応援することにしました。
やねたにさんの選挙活動を通じて、私はほかの健聴者である立候補との違いを感じました。
選挙期間中、やねたにさんは手話で政策を訴え、手話ができる娘さんたちがやねたにさんの声となり街頭演説をしていたことでした。
街頭演説中の市民からの応援の声も手話を通じてのコミュニケーションなので必ずタイムラグが生じます。そして、すべてを正確に聞き取れない。
皆さま、想像してみてください。
自らの声で政策を訴えることができないのです。
健聴者とは違い、自分の耳で聞いて理解し、自らの考えを自らの声で発信するということができないのです。
しかし、誰からも好かれるお人柄と、ご自身の経験も踏まえて、小さな声に耳を傾け、障がい児者、高齢者の方がたの生きづらさを自分ごとのように親身に考えることができるやねたにさんの姿勢と行動力で2期目となる選挙に当選され、明石の福祉向上をめざした活動にご尽力されています。
やねたにさんの1期目の当選を受けて、明石市では公費で本会議や委員会に手話通訳者を配置していたこともやねたにさんを通じて後日、知ることができました。
やねたにさんの先駆的な活動により他市でも聴覚障がいのある市議会議員に手話通訳者を配置する流れになっていると聞きます。
現在、私はやねたにさんのYouTube動画の撮影と編集に携わらせていただいています。
多様な方が活躍できる社会、いろいろな声を上げられる社会、いろいろな声に耳を傾け、課題を共有し解決できる社会をめざすために、やねたにさんのように障がいがある方の活躍は、日本の福祉において必要不可欠であると感じたからです。
やねたに敦子さんのYouTube動画「あっ!CHANねる」は2020年5月9日から配信を開始。毎週土曜日18時に新作動画を配信していて、手話講座やろう者の生活、明石市のPR動画の他、有名Youtuberとのコラボ動画もあります。
↓↓ぜひご視聴いただき、ろう者の世界を知ってください↓↓
「あっ!CHANねる」でやってほしいことなどあれば、お気軽に明石市立あおぞら園・きらきらまでご連絡ください。
当たり前のことを当たり前にできる、そんな社会となるように今後も「あっ!CHANねる」で配信していきたいと思います。
最後に
わたしたちは健康であっても年をとり、誰もがいつかは老いていきます。耳が聞こえづらくなったり、目が見えづらくなったり・・・。
もしかしたら突然、事故や病気で体が思うように動かせなくなるかもしれません。障がいがある方の生きづらい社会は結局、みんなの生きづらい社会なのです。今後も障がい当事者の方がたとともに社会の「障がい」を取りのぞく行動を起こし続けたいと思います。
ノリソン
兵庫県社会福祉法人三田谷治療教育院
高等学校卒業後、将来の夢もなく福祉という響きの良さだけで3年制の福祉専門学校に入学。卒業後、やはり、やりたいことが見つけられず就職氷河期真っ只中、明確な志望動機を持たずになんとなく10社以上の就職面接に挑むがことごとく惨敗。藁をもすがる思いで当時一番嫌だった知的障害者に関わる入所授産施設に奇跡的に就職することが出来、「汚い」「気持ち悪い」「こわい」と知的障害者に対しイメージしていましたが、完全に苦手意識がなくなり、現在は、社会福祉は社会をデザイン出来るクリエイティブな仕事と感じながら従事している。
高等学校卒業後、将来の夢もなく福祉という響きの良さだけで3年制の福祉専門学校に入学。卒業後、やはり、やりたいことが見つけられず就職氷河期真っ只中、明確な志望動機を持たずになんとなく10社以上の就職面接に挑むがことごとく惨敗。藁をもすがる思いで当時一番嫌だった知的障害者に関わる入所授産施設に奇跡的に就職することが出来、「汚い」「気持ち悪い」「こわい」と知的障害者に対しイメージしていましたが、完全に苦手意識がなくなり、現在は、社会福祉は社会をデザイン出来るクリエイティブな仕事と感じながら従事している。